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 日 記




2017/12月/10日

自分だけの副作用

わたしとしては非常に珍しく、先月は体調不良 だった。 月初めからひどい咳風邪・喉風邪をひき、その病状が概ね治まった後も胃の不快感、ふらつき感に襲われ、 本調子に戻るまでに一ヶ月余りを要した。 11月は誕生月だったのだが、その時期に相応しからぬ情けない具合の悪い状況が、何とも長く続いてしまった。

今では殆ど回復しているが、この期間は本当に 説明し難い不調に悩んだ。 病院へは行かなかったが、仮に診てもらったとしても原因は曖昧、 さしずめ「不定愁訴」「自律神経の乱れ」などで済まされてしまったことだろう。 しかし普段まず病気はしないので、そもそも病院・服薬が好きじゃない。 殊にかつて、処方された服用薬の「副作用事件」があって以来 顕著である。

ふた昔ほど前、爪のトラブルで皮膚科を訪れ 飲み薬を処方してもらった。 この症状には ごく一般的な投薬であり、 大抵の患者は それを飲んで問題なく完治へと向かうのであろうが・・・わたしの場合は、違った。

詳細は述べないが飲み始めて間もなく、明らかに尋常でない症状が身体に現れた。 あれっと驚いて試しに服用を止めてみると、その症状も治まる。 再び飲み出すと また始まる。紛うことなき その薬の副作用、としか考えられない。 次回来院の予約日まで待てず、取りあえず その皮膚科のある病院の、 処方してくれた院内薬局へ赴いて 症状を説明して尋ねてみた。

応対してくれた薬剤師さんが、資料をめくって その薬の副作用記録を念入りに調べてくれたが、 最後には「そうした副作用は報告されていませんね・・・あり得ません」という回答。 いや、これまで確かに報告は無いのかもしれないが、現に わたしのこの身に その現象は、厳然と起きているのだ。 釈然とせぬまま仕方なく帰宅し、結局 残りの薬を飲むのは、やめておいた。

次の通院日、わたしを診てくれる皮膚科Dr.に訴えてみたところ、 「原因はどうあれ疑わしいものは使うのは止めましょう」という診断により (まだ若く奇麗な女医さんだったが、サバサバした人のようで助かった)、 あっさりと別の薬に変更してくれた。 その新たな薬は特に問題なく、しばらく服用しているうち爪のトラブルも解消された。


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あれは何だったのか、と時どき思い返す。 これまでのデータだけを参考にし、その範囲内でだけしか結論を導かない。 それはじつに偏狭な考察だと思う。 この世の他の人びとには一切当てはまらないということであったとしても その薬による副作用症状は、 わたしに対してだけは絶対に「陽性」だったのである。 今まで一人もいなかったからと言って「あり得ない」と切り捨ててしまうのは、どうなのか。 人間の身体とは そう単純ではなく、想像するより遥かに繊細で複雑、人それぞれ異質のものなのだ。 単一パターンとして ひとくくりに考えるべきではない と思うーーその問題の薬の名は、迂闊にも失念してしまったが。


 



2017/10月/16日

ラッコの哀愁

カリフォルニアの山火事が、一週間経っても鎮火していないと聞く。 ひとまとまりの住宅街が 丸ごと焼かれてしまった地区もあるようで、 殆ど全てを失われた人びとが どれほどいることだろう。

最近、たて続けに持ち物を紛失してしまった。重宝して大切に使っていた物ばかりで、残念至極。 しかしそれは所有物の ほんのごくごく一部にしかすぎず、 上記の如き災害に見舞われた人たちのことを思うと、これくらいで嘆いているわけにはいかない。

さて人間以外の動物たちは、いっさい物を持たない。 自分の身ひとつだけで、生まれてから死ぬまでを 何の問題もなく過ごす。 程度の差はあれど、「物」に執着してしまう厄介な生き物は、 地球上でヒトだけであろう・・・と ずっと思っていたが、人間以外にも「物」を 大事に携行する動物がある と知った。 ラッコである。

彼らはよく貝の殻をコンコン!と お腹の上で叩き割っている。 その際に使う石は、マイストーン。つまり自分専用の石をお気に入りの道具として、いつも携えているらしい。 脇の下の皮膚の辺りがポケットの役割を果たし、いつも使用する石を収納しておけるという (このポケットには 食料を保存したり遊び道具を入れたり という、別の用途もあるんですって)。 さらには自分専用の石を、他のラッコに自慢することもあるとか。 そしてその お気に入りを無くしてしまうと、食事も出来ないくらい落ち込んでしまい、 代替品を与えても受け取らないそうな。 わたしたちと変わらないよね。 大切な所有物を失ったことが、本当に残念で悲しくて しかたないのだろう、人間っぽくて面白いなぁ。


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このラッコたちについて先日 新聞で読んだのだが、 国内の飼育数が激減しているようである。 最高齢だった大阪・海遊館のメスラッコも、先週 老衰で大往生を遂げた。 20余年前には日本で122頭も飼育されていた彼らは、今や11頭しか存在していないとか。 繁殖も思うように望めず、ワシントン条約で輸入も規制され、 このままだと いずれいつかは この国での水族館で、彼らを目にすることは出来なくなってしまう。 でも本来それで正しいのかも。 環境変化などのストレスにも弱いそうで、自然のまま「海のどこか」で野生で暮らしていくことが、 彼らにとっては一番しあわせなのだろう。

ところで ラッコたちは、アワビやホタテ、ウニなどの「高級食材」を毎日摂取しており、 人間からすると「な〜んて贅沢な!」って思う。 それには彼らなりの理由があるようだが(ここでは割愛)、食費が1頭あたり「1日」1万円超えの施設もあるようで。 これ、つつましく生活している わたしの「1ヶ月」の食費と変わらんやん・・・あぁ羨ましいラッコになりたい・・・。


 



2017/9月/17日

続・デパート屋上遊園地

3年前の大晦日、デパート屋上遊園地の話を書いた。 その際、関西で唯一それが残っている「高槻松坂屋」に関し 「気候天候の良い休日に様子を伺いに行ったことがない」と記したが、 このまえの日曜が おあつらえむきの「秋晴れの休日」となったので 視察のため出掛けていった。

幼児を連れた数組の家族連れがポツポツと、ざっと見た限り 10人ほど。 概ね思っていた通りの様相であった。 遊具は ゴーカートのほかポケモンキャラクターとかバス操縦席を模した乗り物など、これもだいたい想像通り。 だが秋晴れの休日で お客の入りが この程度というのは、やはり何とも心許ない。


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しかしそれでも、意外なところに関心の目が向いた。 連日 ほとんど使われることが望めない各遊具が、 どれもみな奇麗に磨かれてメンテされている という様子が見て取れるのだ。 加えて、新しく設置されたばかりかな? と想像されるピカピカのものも少なくない。 それは、決して この屋上遊園が 軽視されているわけではない、という事実を物語っている。 当面は 意地でも閉園させる予定はない、という気概さえ感じたのだが・・・。

帰宅して ちょっと調べてみると、 この「高槻松坂屋」自体に 閉店の危機が忍び寄っているとかいないとか (関係者の方がたには失礼ですがーーごめんなさい)。 かつて国内・国外合わせ かなりの店舗を構えていた「松坂屋」は、次第に その数を減らし、 今では日本に5店舗しか残っていない。 その中で 西日本で唯一生き残っているのが、この高槻店である (とは言え これとて現在では、大丸京都店の分店として運営されているらしい)。 そんな超貴重な存在が無くなってしまう事態は絶対避けてもらわねば・・・仮に閉店ともなると、 それはすなわち関西で たったひとつだけの屋上遊園地が姿を消す、という結果に繋がってしまう。非常に困る。


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少なくとも まだ当分は存続するであろうが、こういうタイプの遊び場は いまどきの幼子たちには流行らないのかなぁ。 昭和ブーム なんて よく言われるが、結局は際物的な流行にすぎないのだろう。 雰囲気だけ何となく新鮮なもののように感じて楽しむだけで、 本質的な「垢抜けない魅力」を根っから好む奇特な子供や親子連れは 希有であるのかもしれない。 それでも、その少数派の人びとが 完全にゼロになってしまわないよう 願ってやまない。

ところで前回(先月)の記述は 台風襲来日であったが、偶然にも本日もまた、大型台風に見舞われている。 こんな荒天の日は あの遊具たちは カバー等をかけられて保護されているのだろうか・・・なんだか気になって心配である。


 



2017/8月/7日

立秋・台風

ほぅらアッという間に立秋になっちゃった。それにあいにく台風まっただ中。

日本列島は、台風銀座。 しばしば甚大な被害をもたらす台風が繰り返し襲来する。 よく知られる「室戸・枕崎・伊勢湾」は、何十年も前 各地に猛威をふるった「昭和の三大台風」と呼ばれているものだが、 いずれもわたしが生まれる ずっと前の災害にもかかわらず 一度覚えると それらの名を忘れることはない。 何故か?

それはもう、それぞれが番号ではなく 固有名詞の呼称が付けられているから、という理由に尽きる。 そのほか米国占領下の時代では ジェーンとかデラ、などという女性名もあるが、 米国主導で命名されたことへの善し悪しはともかく、これらも印象深いので まず忘れることはない。

翻って、昨今の台風は どんなに大きな被害に見舞われたとしても「平成◯年△号台風」で終わってしまう。 単に数字だけの名称では、 この夏の あの台風の際は大変だったなぁー なんて ひととき覚えてはいても  そのうち年が改まって暫くすると あれ△号だったっけ? と、もう記憶から薄れてしまう (ごめんなさい被災地の方がたにとっては 忘れられるはずないでしょうがーーー)。

どうして昔のように固有の名を付けないのかな と思っていたら、 どうやら2000年から 日本を含む14カ国加盟の「台風委員会」が、 10個ずつ名称を出し合って 発生台風に順繰りに それらを名付けていく、という作業をやっているらしい。 わりと最近になって気象庁のHPで知ったのだが、それによると 「台風の名前は繰り返して使用されますが、大きな災害をもたらした台風などは、 台風委員会加盟国からの要請を受けて、その名前を以後の台風に使用しないように変更することがあります」とのこと。

ん?そのわりには、ここ何年か夏季になると大きな台風に襲われるけど、 ニュース等で そんな固有の名で呼ばれていたことは殆ど無いように感じる。 個人的には 甚大な被害をもたらす台風については 基本的にそうした名で優先的に報道し、 「△号」という呼称は副次的であるほうがいいと思う・・・人びとに忘れられることなく教訓を与えるためには。 そうすれば 何年経っても記憶に かなり刻まれているはず(どうしてそうしないのだろう?)。


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確かに気象庁発表の台風情報を見ると、固有名称も併記されている。 今回の5号は「ノルー」というらしい(韓国が用意した名で動物の「ノロジカ」の意味だそうな)が、 一般の人たちにも広く知られないと あまり意味ないんじゃないかなぁ・・・ その「ノルー」は異例の長命台風となっているようだが、極力被害が出ないように、と願う。

台風報道でニュースの大部分が占められ、本日の暦を意識している人は少ないだろう。 でも今日は、立秋。 「野分」の時節の始まりとしては、まさに相応しい日ではあるのだが。


 



2017/7月/15日

真夏のピークは・・・

あれよあれよという間に季節が進み、いつしか文月も半ばに差し掛かり、もう月の下旬に突入。 最寄り駅前に植わっている数本の桜の木にも、クマゼミたちが集まり始めて 賑やかに合唱を奏でている。

梅雨明けも秒読みで、じきに灼熱の夏本番を迎える。 ところで2014年の立秋のころ、「真夏というのは思いのほか短い」という記述をした。 それから約3年経って、自身の真夏に対する認識が 微妙に変わってきたようである。

やっと梅雨が明けたあとは「真夏」がスタートする・・・大抵は そう考える人が殆どだろう。 かつては わたしもそう思っていたし、 今でも暑中見舞いのコメント等で「梅雨が明けて夏本番を迎えーー」などと書いたりしている。 しかし内心は今、「真夏のピークは 最早 過ぎ去ってしまったのではないか」と感じている。

毎年まず例外無く、夏至の日は梅雨のさなかである。 「夏」に「至る」・・・つまりその日辺りが夏の頂点で、 7月に入る時分には もう晩夏へと近付きつつある、という印象を 最近は受けてしまうのだ。 その理由を 探ってみると、 ここ最近は初夏あたりから「真夏日」と呼ばれる高温の日々が多く出現するからではないか、と推測する。 つまり夏本来の気候天候が かなり前倒しされているわけである。 今年も ご多分に漏れず随分と暑い日が 5月ごろから続き、 入梅後しばらくは 嘘のように晴天が続いて気温も上昇した。 そういうわけで、真夏と言われる暦に達するときまでには 既に身体が熱さで だいぶ疲弊している。 したがって梅雨が過ぎ去り「さぁいよいよ夏の盛りですよ〜」と言われたところで ピンと来ないのだ。 ここに至るまでに もうかなり「真夏らしさ」を体感してきているゆえに。

そういうことで、自分としては早や「夏」はもう終焉へと向かっている。 来週は土用。鰻の話題も、これから。 そもそも子供たちの夏休みさえ 始まっていないところも多い(大抵は21日くらいからか?)。 今後展開される夏真っ盛りの楽しみを満喫しよう、とわくわくしている世間の多くの人びとに逆らい、 情緒がわからず空気も読めず申しわけないが、わたしはこの時季「晩夏の忍び寄り」の気配を感じるのを否めない。 その多くの人から見るとどうにも奇異で アマノジャク、とまで言われそう・・・ 猛暑だって、一層これから厳しくなっていくことだろうに。


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ところで最初にクマゼミの話をしたが、そのほかツクツクボウシだのヒグラシだの、 日本には色んな種類のセミがいて、それぞれ鳴き声も異なって面白い。 昔から俳句にも詠まれ、とても趣深い夏の「音」の風物詩である。 しかしそのようにセミの鳴き声を愛でて季節感に浸る、という親しみかたが出来るのは、日本人だけらしい。 他国では雑音にしか聞こえないようで(実際セミが生息していないところも多し)、 現に 日本の某時代劇ドラマが米国に渡る際、夏の戸外場面の心地よいBGMであるはずの蝉の声は 消去処理されたそうだ。 あちらの方がたには耳障りだ! と嫌われるそうな。 意外にも われわれ日本人の感性は 特殊で少数派ってこと・・・?  でもその少数派として、 この国でセミの声を素直に楽しめる幸運を、有難いと思う。


 



2017/6月/6日

「46!分の1」の選択

またまた前回からの、つづき。

その話は 高校2年時代に遡る。わがクラスは、毎週のように生徒主導で「席替え」を楽しんでいた。

総勢46名、最前列の角から順に最後列 角の席まで 1から46の番号を振り、 男女いっしょくたに毎回 阿弥陀くじで各自の番号を決め、その席に座る。 当時は考えもしなかったが、果たして46名の席の並びは何通り存在するのだろう?・・・ まさにその時分に習っていた数学の「順列組み合わせ」の知識により、 単純に考えて46!(46の階乗)ということになる。 ひとことで そう言ってしまえばそれまでだが、具体的には如何なる数字なのか?

46の階乗、すなわち1×2×3×・・・×44×45×46。4か5あたりまでは まぁこの程度か と微笑んでいることもできよう。 だが7か8あたりで これは ちと ただごとではないぞ と気付き、10 を過ぎるころになると 先ほどの微笑はどこへやら。 あまりの数の大きさに血の気がひき、早やこの段階で「階乗」の おそろしさを悟ることとなる。

その怖気を何とか払拭して46まで掛算を続けると、最終的に どれくらいの巨大数になるのか。 これはもう自分ではどうしたって無理なので、このサイトに お世話になった → http://www.nap.st/factorial_calculation/?lang=ja

46!の欄に記された夥しい桁の数字を端から数えてみると(画面上で確認するの苦労したわ)約5.5×10の57乗。 何と単位は「十阿僧祇」! おぉ〜!!遂に遂に、ここまできたか!!!と感激 しきり。 宇宙に関しての考察では全く届く気配さえなかった この高次の単位に、ようやく到達できて感無量である。

さて、これで喜んで終わりーーというわけではない。 次は「その 5.5×10の 57乗通り の席の並びを全て出力するとしたら どれだけ時間がかかるか」という計算に挑戦してみる。 日本が誇る 「京」は、その名の通り1京回もの演算をたった1秒で終える というスパコンだが、 その「京」に頑張ってもらうとすると、どれくらいで済むものか?

ここから先、まさしく常識を遥かに超えた 信じ難い結末が待っている・・・ その 計算過程は あまりに繁雑すぎるため ごそっと省略するが、 ざっとドンブリで「1.75×10の34乗年」という解を得た。 前回記述したが 宇宙の年齢「約140億」という数値は、たかだか10の10乗程度。 つまり「46!」 の席の 並び方を「京」が宇宙開闢の瞬間から出力し続けていたとしても ま〜〜〜ったく無理。 宇宙の「生涯」を あと何度繰り返せば辿り着けるのか? というレベルである 。

さらに付け足すと「量子コンピュータ」なるものが研究されているようだが、 これは現スパコンが1億年かかる計算を1秒で こなしてしまう というオバケみたいなシロモノ、と聞く。 しかし仮に その超々驚異的なコンピュータを駆使しても、 この計算は これまた今までの宇宙の年齢だけでは まだまだ ぜんぜん おはなしにならないほど 足りはしない。


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昔、高2クラスで頻繁に おこなっていた席替え。 その組み合わせ「46!」という数字が、もう失神するほど極めて途方もなく巨大なものなどとは、 あの頃いっさい意識さえしなかった。 しかし実際、現に その「46!」種類の席の組み合わせのうちから、その都度「46!分の1」の並びを選び取って座っていたのだ。 オバケのような量子コンピュータを以てしても 「この宇宙が何度生まれ変われば 出力終了できるのか」という気が遠くなるほどの数の順列の中、 ごく簡単な阿弥陀くじで導いた たったひとつ「5.5×10の57乗分の1」の結果にしたがって。 毎週一度、すこぶる身近な日常で。

結論。「天文学的」な数値とは、決して「天文学」の中に見つかりはしない。 そして遠いところではなく、こんなにも近いところに奇蹟のように、 しかも さりげなく存在したりする。 まるでメーテルリンクの「青い鳥」のごとく。


 



2017/5月/22日

「天文学的数字」って?

前回の、つづき。

地球の円周をmmで表すと 「わずか」400億mmにすぎない と、先月 書いた (普段「豊洲市場への移転費用は当初の概算400億円」とか「東京都の年間予算は13兆ほど」などというニュースに触れていると、 億とか更に兆くらいは 日常 耳にしている単位 という印象が定着し、巨額さを認識する感覚がマヒしてしまうかのようだ)。

ところで巨大数を表現するとき「天文学的な数字」という言葉が使われる。 その通り地球とか宇宙に関係する話なんかの際、特に。 しかし「天文学的な」って、本当に そんな驚愕するほどの物凄い数字なんだろうか?

そこで思い切って「宇宙の大きさ(=直径)をmmにすると どれほどになるか?」という無謀な計算を試みた。 そもそも宇宙の正確な直径など、判明してはいない。 例えば300億光年 とか言われるが、もっと遥かに大きいかもしれないので、 いっそ「およそ1000億光年」と仮定して計算してみることにした。 手間・ひま・知力体力を駆使して導き出した数値ーーー (ざっとドンブリ勘定だが この規模ともなると、多少の誤差など何の問題もないからねぇ) 計算間違いがなければ 概ね10の30乗、という結果が出た。

「10の30乗」というのは どうやら「百穣」になるらしい。 確かに普段の常識的な物差しで考えると えらく大きな数であるのだが、 冷静になってみると「兆」の上が「京」、そして「穣」というのは そのほんの3つ上の単位でしかない。 これって宇宙の大きさとしては やっぱり思っていたよりも ずぅ〜〜っと「たいしたことない」って思いません?  想像すら全く不可能で 途轍もなく甚大な宇宙の直径が ミリメートルで表したとしても たった「100穣mm」 ← この程度でしかないなんて。 巨大数を語るとき必ず出てくる単位に「無量大数」なんてのがあるが、 それは10の68乗(他説も有り)で京の13段階も上の単位。 「穣」など、その足もとにも 遠く遠く及ばず。百穣を百穣倍したって まだまだ無量大数に達しない。

ついでに 約140億年程度と見積もられている宇宙の年齢を「秒」で計算してみると ざっと4.5×10の17乗秒。 つまりこれとて「45京秒」にしかならない。 宇宙開闢ビッグ・バン以来刻み続けられた秒数が「たかだか」45京秒にすぎないなんて、 実に意外で信じられないほど小さな数だと感じるのは わたしだけだろうか。 それを著しく凌ぐ多くの数の単位が現に設定されている という事実を改めて確認すれば、 そのあまりの「僅少さ」に仰天するだろう。 ⇒ http://www1.odn.ne.jp/haru/data-list/number_01.html


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ことほどさように はかりしれない超絶的なスケールであるはずの「宇宙」に関するこれらの数値・・・大きさをmmで、 年齢を秒で示しても これっぽっちにしかならないとは。 「天文学的」な数字と聞いてイメージされる、 無量大数のほか不可思議とか那由他などの単位・・・現実には そんなレベルまでは 到底 全然 一切 皆目 とてもとても届きはしないのだ。

「天文学的」な数字は実際の宇宙には あまり縁が無いだなんて 妙な話。 しかし この世界には「天文学」より もっともっと「天文学的」な分野が存在する。 そしてそれは、存外 身近で親しんでいるものだったりするのだが・・・さらに つづく。


 



2017/4月/15日

想像絶する多角形

「理数」に関しては からっきし、である。 なにしろ高校時代、物理のテストで「8点」を取った輝かしい実績を持つ(もちろん100点満点で)。 しかし数学科学トピックスの「うわっつら」だけを浅く学ぶのは、けっこう好き (繁雑すぎる理論はダメ)。 円周率に関しては 小学生のとき憶えた 小数点以下30桁は、いまだに忘れていない。

最近 図書館で借りてきた本に、その 円周率「π」に関する研究の歴史の記載があった。 それによると16〜7世紀、 ファン・コーレンなる数学者が πを計算するために円周を多角形で近似して、その辺の数を増やしていったらしい。 そして最終的に なんと 「正461京1686兆2738万7904角形」という途方もない数の多角形まで辿り着き、 35桁までのπの値を出した、とか・・・億の上の単位が兆。さらにその上の、京。気が遠くなる。

はたして、その「461京〜〜」などという 尋常ならぬ正多角形って、どんなものなのだろう?

そこで先ず思いついたのが、地球1周は「何ミリメートル」であるのか。 厳密に言うと表面に沿って1周分をチマチマと1ミリメートルの直線(辺)で刻んでいくと、 ひとまわりで「正何角形」になるのか (因みに 畳の目ひとつひとつが概ね1mmほど、と考えると わかりやすいかも) ・・・さぁどんな数値になると思います?

さて計算してみましょう。 地球が完全な球体であるとして、大円の周囲は約4万km。 メートルだと4万×1000で4000万m。 センチメートルなら4000万×100で40億cm。 さらにミリメートルだと10倍して400億mm。 ・・・ん・・・?これで終わり・・・?「400億mm」← えっこれが正しい解答なの??え〜〜〜っ!!!

正直、「たいしたことないやん!」この広ーい地球の円周が、 「たったの」400億mm??? 当初「兆」の単位には達するだろう などと予想をしていたのだが、 これでは1兆の25分の1にすぎないではないか。本当にそうなの? 何度も検算したが、本当にそうだった・・・地球って、存外小さいもんだったのね。


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話をもとに戻すが、 そもそも知りたかったのは「1mmの『辺』を繋げ、地面に密着させて地球をぐるっと1周 囲んだとして、 その際 作成される『正多角形』は何角形になるか」ということ。 その結果によって くだんのコーレンさんが導いた 「正461京〜〜形」がどんなものかを想像したかったわけだが・・・ 周囲1ミリ刻みで作られたその図形はせいぜい「正400億角形」にしかならず、はるかに遠く遠く及ばない。 さらなる計算によると 仮に「正400京角形」にするためには 「『1億分の1』mmの辺」で囲まないと、ということが判明したが、これって いったいなんやねん? こんな常軌を逸した果てしない数の図形を想定する意味など、まったく無いでしょ。

これ以上の思考は 脳が沸騰してメルトダウンしてしまいそうだし 実際 頭痛もしてきたので、また後日。


 



2017/3月/23日

春は五感で

ちょうど昨年の今日、年明けて3ヶ月の時の経過の早さには驚愕 という旨の記述をしたが、 それから再び1年過ぎてしまったーーーというのが またもや信じられない。

なかなかあったかくならないなーと思いながら彼岸を迎えたが、 先週 近くの嵐電(京福嵐山線)の踏切に差し掛かったとき、 これまで冬季は乗客が少なく1両編成だった電車が、2両編成になっていたのを目にした。 それを見て 「オフシーズンが終わり、漸く行楽シーズンがやってきたのだ」と気付いた・・・ 気候天候は いまだ足踏みしているように思えても 暦は確実に進み、 また今年も春が巡り来る。

この電車の編成の違い などのように、 普段は意識していない日常の暮らしの ちょっとした変化で ふっ と季節の移ろいを感じる瞬間がある。 今月初旬、近所の道を歩いていると どこからともなく微かに芳しい香りが漂ってきて 「早春の匂い!」とハッとなったが、帰宅して調べたら その香りの正体は 沈丁花である と知った。

冬の時分は 寒々とした冷気を避けて影を潜めていた猫たちが、 大きな声で鳴きながら 民家の周りを徘徊するようになった。 太陽の高度も上がり 夕刻6時を過ぎても まだ薄明かりが残っているし、 晴れた昼間は 陽射しの温もりを仄かに感じる日も増えた。 スーパーの店頭に並んだ新玉葱を買って調理し、とろける甘さを舌で味わう。


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季節の移り変わりというのは、このように五感すべてで感じられるものなのだろう。 春本番の象徴は「桜」だと広く認識されているが、実は その随分前から「小さな春」は、 さまざまな兆しを通して姿をあらわしている。

この連休明けは気温が低く雨模様であったが、 そんな中でも東京では ソメイヨシノの標本木が開花したようだ。 こうした便りを聞くと つくづく思う。 春は足音をたてず いつの間にか密かに すぐ隣にまで忍び寄っているのだ、と。


 



2017/1月/19日

雪や こんこ

年が改まって半月ほど過ぎたこの間の週末は、 全国的な大寒波で京都中心部でも たいそう雪が降った。

日曜の朝 起きて窓を開け、あまりの積雪に仰天し 炬燵の暖かさを最強にしてネコの如く丸くなっていると、 外では子供の歓声が聞こえる。 近所の子たちが雪だるまを作って遊んでいるのだ。 まだ霏霏として雪は降り続いているのに こんな気候天候の中、 よくも楽しげに戯れることが出来るもんだ・・・などと呆れ 感心してはみたものの  人生の来し方を よ〜く振り返ってみると、自分だって ずーっと昔は おんなじことやってたんじゃない?

数十年前 幼き少女だったころ、わたしだって同様に 雪が積もると大喜びで外に飛び出し、 はしゃいでいたものである。 「寒くて鬱陶しいな〜」なんてことは微塵も考えなかった、頭の片隅にも浮かばなかった。 「子供は風の子」それを身をもって体現していた。 それがもう、この年齢に達すると あの思い出は「嘘か夢かマボロシか」と感じられるほどに乖離してしまっている。 いつの時点から、どのタイミングで そのように移行してしまったのかさえ もはや思い出せない。

今じゃ、ただひたすら暖房から離れたくない、外へ出たくない。 まして雪遊びなんて酔狂なマネ、とても出来るはずはない。 はるか昔、元気いっぱい闊達だった幼女の自分は かつての幻像であり、 情けないが片鱗さえも もうどこにも存在していないのだ。


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記憶をたどれば 高校時代までは 真冬の体育の服装も半パンだったし、 セーラー服の上はセーターも着用せず オーバーコートだけを羽織り、 20分近くかけて自転車で風切って通学していた。 冷たい木枯らしなど何のその。それが普通で平気だった・・・今となっては到底信じられないが、厳然たる事実である。

当時の気概とエネルギーが今も体の片隅のどこかに少しでも残っていればーーと空しい願望を抱きつつ 過去の溌剌少女だったこの身は、 今回のような雪の舞う極寒の日は 炬燵布団を被ってネコと化す。


 



2016/12月/15日

思い出の建てもの forever

昨年の11月に「柿の木の家」という表題で、東京の某所にある民家の話を書いたが、その続き。

実は先月11月、所用で久々に上京した際、その家がどうなっているか 思い切って確かめに行くことにした。 ずっと記憶の中にだけ残しておきたくて「敢えて確かめに行く気にはなれず」とは書いたものの あの記述をして以来、 潜在的に気になっていたので その懸念に決着をつけるため、と言ってもいい。 たとえ消滅していても受け容れなければ、 という覚悟を持って ドキドキハラハラしながら 目的の私鉄の駅に向かい改札を出た。 果たして・・・

その家は、あった。 ひと昔近く前、最後に目にした そのときのまま同じ姿で、何ひとつ変わらない佇まいで建っていた。

一挙に力が抜け、そして ほっ とした・・・折しも今回も晩秋、柿の季節。 庭には やはり昔の如く、たわわに朱色の柿が実っていた。 何もかもが かつてのまま、相変わらず この家が纏う空気は 昭和の一時代のまま、ずっと止まっていたのだ。 それにしても、建物というものは 通電したり水を使ったり、 つまり人が住み続けていないと劣化し寂れてしまうと言われるが、 この家屋にはそのような様相は微塵も呈していない。 古いなりにも依然として 今にもサザエさん一家が ひょいと中から顔を出しそうな、 そんな活き活きとしたオーラに包まれている。 かと言って敷地内に人の気配は見えない。 だから普段は生活していなくても、時々誰かがメンテしに来ているのかもしれない。 本当に謎多き孤高の家・・・とにかく今回「無事な」姿を現在も目にすることができ、 結果的に思い切って再訪して正解だったが、 もし「消滅」していたとしたら わたしはどんな心持ちで 東京から戻ってきたことであろうか。


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当たり前のように そこにあるはずの、あるべき建てものーーーそれがもう存在しない、という経験は .これまでの人生で何度かあった。 たとえば、今では面影も無く新しく建てかえられてしまった母校の旧校舎。 これは既に「無に帰した」ことを 明らかに確認しているが、火事で焼失したらしい趣のあった某老舗喫茶店は、 ニュースでその事実を知っただけで 実際に見に行く勇気が持てない。

それ以外でも自分が情報を得ていないだけで、もしかしたら 幼いころ、 若いころに慣れ親しんだ大切な思い出の建物の幾つかは、既に消えてしまっているのかも。 そう考えるだけで 淋しくて せつないことだが。


 



2016/11月/23日

晩秋の憂鬱

先週、とある大型食品スーパーに行ったらクリスマスソングが華やかに流れていた。 でもクリスマスまでは、まだ1ヶ月あるやん。 正直、せめて11月一杯くらいまでは紅葉を しっとりと楽しみたい。 なんで今からクリスマス気分を煽りたてるのか と、毎年この時季になると訝しくてしかたない。 いったいいつの頃から 斯様な風潮になってしまったんだろう、季節感を味わう暇もない。

ところで今秋は、野菜が高い。 夏場到来した台風などのせいで天候が不順で、 野菜全般の収穫が不調で品薄になってしまっているのが原因、と聞く。 どこのスーパーを見て回っても例外無く高い。普段の3倍!などという野菜もあり、ちょっと手が出ない。 安い庶民的な価格が売りのスーパーでは、 高値で出しても殆ど買う人もいないのだろう、売場に置かれてさえいないものもある。 でも摂取しないわけにはいかないので、なんとか極力安めの種類を探すのに一苦労。 結局は大抵、不本意ながら生野菜よりも幾分割安な冷凍野菜等を選ぶことが多い。


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かくの如く、ただでさえ野菜の高騰で溜息をつきながら売場を巡っているのに、 まだ耳にしたくないクリスマスの曲が耳に入ってきて一層気が滅入る。 例年、歳末になると野菜が値上がりするものだが、 今年は現状維持で価格が落ち着かぬまま 年の瀬を迎えることになるのかしら。


 



2016/9月/24日

日本語バリエーション

夏目漱石没後100年 ということで、当時 新聞に掲載されていた小説が 今年になって再び同じ新聞紙面に登場している。 現在連載中なのは「吾輩は猫である」。 この作品は海外の多くの国で読まれていると聞き、 どの言語に訳されているのか興味を覚えて調べてみたところ、 のっけから・・・タイトルの翻訳を目にして愕然とした。

まず英語。「I am a Cat」・・・そのまんま。 考えてみりゃ当然 予想通りなのであるが、あまりに当たり前すぎ、情緒皆無、 もとの日本語が醸し出す重厚な印象が感じられない。 そもそも一人称が複数存在する というのは日本語独自の特徴で、 他の言語では 大抵ひとつしか用意されていない。 発言の主が男女どちらなのか という判断も曖昧 という場合が多いし、 方言による使い分けも出来ない。 だから「ボクは猫よ」であろうが「あたし猫なの」であろうが「ワテ猫やけん」であろうが、 概ねこの一種類のフレーズで片付けられてしまう。 因みにフランス語では「Je suis un chat」、 ドイツ語スペイン語など 他の言語でも状況は同じ。 中国語が最もわかりやすいだろうか、 「我是猫」・・・みな直截的・即物的で、何と言うか 面白味が全然無い(他国の方がた ごめんなさい)。 わたしたちの使い慣れている日本語とは全く質を異にしている。

この事実を鑑みると、普段自分が何の不思議も無く喋り、書き、耳にしている「日本語」とは、 かくも多様で趣深く柔軟性に富む言語なのであるか を 改めて知らしめられる。 その場面・状況に応じて 何種類もの表現法を使い分けることが可能な言葉に囲まれている日本人は、 世界でも希有なほど文化的な環境に恵まれているのだな〜、と強く思う。


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それゆえに、日本語は難しい。 平仮名カタカナ漢字 で文章が構成される、 単数複数を特に明らかにしなくても文章が通じる・・・等々、他の国から見れば特異な言葉かもしれない。 だからこそ それを苦もなく生涯に亘り駆使できている日本人は、 この麗しい言語を乱暴に扱うことは御法度 と痛感している。


 



2016/8月/22日

髪の重さ

今回のオリンピックで女子選手たちの競技を見ていて 改めて ふっ と気づいたことがある。

ロングヘアの選手は結構多いが、その長い髪が僅かながらも 記録に影響しているのではないだろうか、と。

そういう皆さんは当然、邪魔にならないようポニーテールなどにして 髪を束ねて試合に臨んでいる。 しかし そうしてはいても走り高跳びなどは、 バーに髪がひっかからないかな などとハラハラしてしまうような場面に出会うことも多かった。 もっとしっかりヘアバンドなどで固定するとか、 否 いっそベリーショートにカットしてしまったほうがいいのでは・・・ そのほうが何の懸念も無く 競技に専念出来るのでは。

高跳び以外の 他の競技でも同じ。 ショートヘアのほうが よほど身軽に競技に専念できるんじゃ・・・ わたしは運動音痴で一切スポーツはしないが、かつて長年ロングヘアであった髪を ばっさりと切り落とした経験があるため、 かなりの確信を持って そう思う。


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物心ついたときから30年余りものあいだ、 ひところは腰に届くほど長かった髪を、ある日 美容院に出向き思い切ってショートにしてもらった。 鋏が入れられて ジャキッ とカットされた瞬間の印象は忘れられない。 思わず小さく呟いた一声は「軽い!!!」という言葉だった。 軽い、かるい、カルイ・・・自分は幼いころから今まで、 こんな重たい「荷物」を頭に ぶらさげて毎日を生きていたのか!! そう、髪というものは間違いなく厳然として「重い」のだ。 そのとき それを、心底思い知った。 これはもう、生涯をショートヘアでしか過ごしていないひとには 決してわからないであろう 衝撃的な感覚・・・ 逆に わたしも ずーっと長いままであったなら、 その重さを実感として認識することは 絶対 一生 出来なかったに違いない。

そうした体験から、どんなスポーツであれ 髪の長さが記録に全く影響を及ぼさないはずはない、 と考えるのが わたしの持論である。 走りの競技であれば 向かい風の場合など抵抗が大きいように思えるし、 水泳でもキャップを被っているとは言え やはり水の抵抗が増すような気がずる。

もちろんロングヘア女性の中にもメダリストが多いのも確かではあるが、 彼女たちも含め 今後その長い髪をばっさりカットする機会が もし訪れた際ーーー きっとその時点までの自分が いかに重い「荷物」を頭部に抱えていたかに 初めて気がつくかもしれない。 そのとき過去の行動を後悔するひとも居るかも・・・ 「あのとき あの試合、もし短い髪で出場していれば、 ずっと身軽に感じられて ひょっとしたら もっといい成績を残せていたかもしれない」と。

だから 少しでも良い結果を出したければ、出来ればショートカットで臨んだほうがいいのでは と、 強く思っている(僭越ながら)。 現在の自分は もうこの短い髪型に慣れきってしまい、 再びあの「荷物」を頭に括りつける気にはなれない。 たかが髪、されど髪。ことほど左様に 思いのほか 重いもの、であるから。


 



2016/7月/19日

四季の危機

昨日 梅雨明けが発表され、夏本番が到来。半月余り前 クマゼミの初鳴きを聞いたー と思っていたら、 今や朝方は近所の木々で喧しくシャーシャーシャー・・・の大合唱。おちおち寝てもいられないくらいの音量である。

子供時代、セミと言えばアブラゼミだった。 ジ〜ジリジリ〜と あちらこちらから聞こえてくる鳴き声が 真夏の風物詩だった。 しかしここ数十年の間にクマゼミが徐々に台頭し席巻し、アブラゼミにとってかわってしまった (少なくとも わたしの居住している関西圏では)。 それでもたまに ジ〜ジリジリ という声を耳にすることはあるが、そんなときは「珍しいなー」と感じる。 クマゼミは もとは南方系のセミ。 というわけで日本列島は、既に南から段々と 亜熱帯化が始まっているのでは? と懸念している。

そう言えばこの初夏ごろ、衣替えをしている際にハッ と あることに気付いた。 冬服 夏服 と分けて整理している中から出てきた七分袖のブラウスやらトレーナーやら・・・いわゆる「合服」に、 最近 滅多に袖を通していない! 冬の毛糸ものを脱いだあと 何だか気候が一気に上昇してしまった気がして 時を置かずに半袖を着用。 考えてみると ここ数年、 同様のことを繰り返している。


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つまり日本は次第に 夏季と冬季の両極端の気候に 二分されてきているのだろうか。 実際 昨今、「春」「秋」独特の天候気候を あまり感じられない。 温帯・日本の魅力として「四季がはっきりしている」と、 昔から言われてきたが・・・かくの如く亜熱帯の兆候が見られはじめてきたのだとしたら 由々しき事態。 そのうち「立秋・立春」とか「秋深し」とか「春たけなわ」とか、 そんな趣ある季節感豊かな言葉に 国民はピン、と来なくなってしまうかもしれない。


 



2016/6月/4日

星空の奇蹟は突然に

「生きているあいだに 一度でいいから見ておきたい」もの、というのは誰にだってあるに違いない。 わたしにも幾つかあるが、そのうちのひとつを先夜 遂に目撃する幸運に恵まれた。

天文少女だった子供時代から、いつか一度は「火球」を見てみたかった・・・ 大雑把に言えば並外れて明るく輝く大きな流れ星である・・・ 普通の流星を見た経験はこれまでに幾度かあるが、 それらを遥かに凌駕する明るさ大きさの「火球」。 はたして どうすれば目にすることが出来るのだろう。

そもそも予測など まったく不可能、突然現れて消えてゆく。 その瞬間 戸外にて天空を仰ぎ見ている必要があり、 しかも視界が その方向を捉えていなければならない。 そのときを狙って偶然 そのような天体が夜空を横切るなどという確率は、 いかほどのものだろうか。目撃する人は よっぽど運がいいのだろう。

そう考えて 諦めてさえいたわけである。 なのに前触れもなく 一昨日の夜更けに突如 夜空に出現したその「不意の来訪者」は、 わたしの視界に見事に飛び込んできて、北北東から南南西の方向へと ゆっくり流れ去った。 普通の流れ星は一瞬で消えてしまうものだが、その著しく輝度の高い光の筋は、 5秒以上もかけて 頭上を翔け抜けていった(ように感じられた)。

調べてみたところ、それは「低速長経路流星」という まどろっこしい名称で呼ばれるようである。 よく「願いごとを唱えればよい」とか言われるが、これだけ 時間をかけてゆっくりと流れ去ったとしても、 願いごとなど何処かに吹っ飛んでしまう。 ただ唖然呆然・・・言葉も無く、声も出ず、目を皿のように見開いて行方を追うのに精一杯。 これが「火球」というものなのか、という認識が徐々に頭に芽生え 我に返ったのは、 視界から消失して数秒後のことだった。


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夜空を見上げ、僅かのあいだ視線がピンポイントで そこに向けられていなければ見ることの出来ない その天体。 幼き日から いつか目にする日を切に願っていたが、 その運命の瞬間は 予期せぬときに ほんとうに唐突にやって来た。 2016年6月2日 22時直前に起きた、奇蹟。



 



2016/5月/5日

童謡の歌詞に動揺

端午の節句に因んだ童謡は幾つかあるが、 「せいくらべ」は 昔から解釈のしかたに悩む歌である。 一昨年 兄さんに測ってもらった背丈の柱の傷が、今年はやっと「羽織の紐」の丈、という部分。 わたしはずっと、一昨年の自分の背丈は今の自分の「羽織の紐」の位置 の高さにすぎなかった、 と認識していた。 つまり2年前より今は随分伸びたなぁ、と感心している歌詞なのだと思っているが、 どうも異なる解釈がある らしい。 いろいろ調べてみると、この2年間で「羽織の紐の長さ」程度・・・ つまりせいぜい10cmくらいしか伸びていなかったのか、 と少々 落胆している歌詞であるという説もある。 つまりその2つは 正反対の解釈となる。 しかし作詞者は90年以上も前に夭折してしまったため、もはや真意を確認する術はない。

かつて子供心にも素朴な疑問を感じた童謡は、ほかにもある。 たとえば「やぎさんゆうびん」。 シロヤギさんから届いた手紙を読みもせずクロヤギさん が食べてしまい、 はたと我に返って手紙の内容を確かめるべく先方に手紙を書く。 しかしそれを今度はシロヤギが食べてしまってーーー とまあ こんなやりとりが続くことが予想される歌であるが、 そもそも一番先に用事があって手紙を出したほうが気付くべきであろう。 不毛な手紙の往復を延々繰り返す つもりかしらん。

それから「待ちぼうけ」。 木の根っこにぶつかって転ぶなどとは、相当ドジなウサギである。 そんなウサギが そうそう同じ野っぱらに複数 棲息しているとは考えにくいが、 この歌詞の主人公は 連日「2匹目のドジョウ」ならぬ「2羽目のウサギ」をひたすら待って時間を潰している。 これもまた不毛な歌ではないか、と思っていたら どうやらこれは本当に 中国の思想書「韓非子」内の説話を歌詞としているそうで (「守株」という成句の元となっているらしい)立派に教訓の歌であるみたい。奥が深い。


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多分わたしは同年代の人々と比べると、かなり多くの童謡を知っている と思っている。 ずいぶんマイナーな曲まで憶えているし。きっとこれは幼少の みぎり、 我が家には童謡を納めたSPレコード(←わかります?)が何故か大量にあり、 母が毎日何度も聴かせてくれたためであろう。 おかげで今でも ソラでフルコーラス口ずさめる歌は たくさんある。 耳からの情操教育を工夫してくれた母に 現在では感謝している。



 



2016/3月/23日

地球の見る夢

年初 「ジャネーの法則」という表題で書いたが、今回も時間に関する話である。

一月去(い)ぬ、二月逃げる、三月去る・・・と言われる。 まさにその通り、年明けてからの3ヶ月は 何故だか実に あっけなく、どんどんと日々が過ぎ去る。 あ〜新しい年になったんだな〜と思っているうち、 もう春のお彼岸・桜の季節が巡ってきてしまったのだから、呆れる ほどに夢のように時が流れる。

夢のように・・・と記したが、実際 夢を見ているとき、時の経過に関しては無感覚である。 不思議にも どのような時間の流れ方をしたとしても、不自然さは感じられない。

夏目漱石「夢十夜」の一夜目を読むと、そのことを はっきり認識できる。 明治時代末に著された この短いオムニバスには 他に少々 生々しかったり不気味だったりするものもあるが、 この最初の話には 実に幻想的な空気が漂っている。

身罷った女性を埋葬し、彼女が最期に遺した「墓の傍で100年待っていてくれたら、また逢いに来る」 という言葉を信じて その通り、ずっと何日も何日も、墓石の脇で待っていた。 だがなかなか年月は過ぎそうになく、女性に騙されたのではないかと訝り始めるが・・・ そのうち茎が 自分のほうに伸びてきて白い百合の花を咲かせ、そこで「100年目が来たのだな」と悟った。

ざっとこんなあらすじであるが、 かくの如く夢の中では 100年の経過が すんなりと成されてしまっても、何の不思議も感じない。


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改めて考えてみたのだが、もし「地球」が意識を持っていて 仮に夢を見るとすると、こんなものなのかも。 46億年近くの年齢だと言われ 今後いつまで存命するかはわからないが、 そんな彼(彼女?)にしてみれば、100年の歳月などほんの一瞬、 「短い夢に費やして終わるくらいの刹那」にすぎないに違いない。

具体的に思い出すこともできないが、 わたしもこれまで、現実世界ではあり得ない長い時の流れを 無理なく一気に体験、 という夢を幾度も見た。もしかするとそんなときには、 地球が持っている時間経過の感覚を 疑似体験しているのかもしれない。



 



2016/3月/3日

旧暦復活希望

一昨日、弥生初日の朝は雪であった。依然として冬の寒さが尾を引いている。 そして本日は「桃の節句」である。

しかし桃の花なんて、どこにも咲いてはいない (そもそも桜とは異なり、桃の木自体あまり見かけるものではないが)。 当然の如く桃の花が盛りなのは、ざっと一月ほど後の時季、旧暦の3月3日。 今の暦では到底 3月初旬の開花は望めない。

七夕も然り、である。現在の7月7日は梅雨の真っ最中。 雨が降らない日であることのほうが難しいくらい。 なのに国内ほとんどの地域で、新暦7月7日に笹に短冊を飾って掲げている・・・ その点 仙台などは ちゃんと旧暦で8月にお祭りをしているから、 晴れ渡った真夏の夜空に 美しく織女牽牛の星々が映える。

つまりこれらのイベントは、 昔ながらの旧暦で行うからこそ本来の趣が感じられるのだと思う。 なのに何ゆえ新暦に従うことに なってしまっているのだろうか。


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今からでも、どこからか徐々に声が挙がって桃の節句やら七夕やら、 旧暦に戻す動きが始まらないだろうか、と 切に密かに願う。今日など こうしてPCのキーボードを叩いていても、 まだまだ指先がかじかむほど。 雛祭りは桃の花満開の、麗らかな春本番の日に祝いたいものである。


 



2016/2月/12日

ダイヤル式

京都市内で世界遺産に指定されている某神社の傍に、 むかーしから続く和菓子店がある。 いかにも老舗、といった年季の入った佇まい。先日久々に訪れ、 お菓子を包んでもらっているあいだに 注意深く店内を観察すると、 なんと奥の壁際に「黒電話」が置かれているではありませんか。 ダイヤル式の・・・ 今の若者たちは見たこともない、という人のほうが圧倒的に多いかもしれないが、 わたしの子供時代は どの家の中にも このタイプの電話が置かれていた。 だから懐かしくってしかたない。レトロでアナログ。 こんなところで「昭和の遺物」を発見出来るとは、ラッキーである。

暫く前、TVで女子高生たちにこの黒電話を見せ、 「かけてみて」と試す実験(?)をしていた。 目にするのも初めてなのだから、当然使った経験などあるはずがない。 そもそも「電話機にダイヤル」という仕様が理解できないようで、 どう扱っていいものやら、皆さん相当難渋していた。 ダイヤルの穴に指を入れるまでは何とか出来ても、 それを「回す」という発想が浮かばないようで、 一生懸命ただ指を押さえるだけで「かけられない、わからない」と ひどく困っていた。 う〜ん、黒電話は 今やそういう難物。よもや そんな時代が到来しようとは。

ダイヤル式電話は、右上の「1」から順に反時計回りに番号が配置され、 最後は ほぼ真下の「0」で終わる。 「1」を回したとき一番近い位置に指止めが取り付けられているから、 その「1」を回すのに費やす時間が最短であり、 「0」を回す時間が最長、ということになる(あ〜説明がまどろっこしい)。 さて警察が「110番」、消防署・救急車は「119番」。 この2つの番号決定についての経緯を、かつて聞いたことがある。 これらを呼ぶ緊急事態が生じた場合、誰しも一刻も早く電話が繋がってほしいはず。 少しでも時間の短縮を望むのだから、 本来「111」とか「112」といった番号の方が早くダイヤルを回せるので そのほうがいいのではないか、何故そうした番号に設定しなかったのだろう。


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こういう場面では、大抵は皆 気が動転して慌てているはず。 極力早く通報したいとは思っても、そこを何とか冷静さを保つ、 ということも重要である。 そこで「1.1」と番号を回した後 気を落ち着かせるため、 わざと時間のかかる「9」と「0」を最後の3桁目として設定した、 ということらしい。 なるほど、と納得のいく話である・・・しかしあくまでこれは「ダイヤル式」であるからこそ有効。 やがてそれが廃れてプッシュボタン式がメジャーになってくると、 「取り乱した心を鎮める時間を確保する」目的で設定された緊急番号は、 最早意味を成さなくなってしまった・・・それでも番号だけは依然として残ったまま。 面白いような切ないような。

くだんの和菓子屋さんの黒電話は、 れっきとした現役である。壊れたりしたら もう替わりの同じ物は入手できないだろうが、 とにかく「使えるうちは最後まで使う」ーーーその気概が潔くて頼もしい。 いろいろと不便な面もあるだろうが、 可能な限り店の奥に、いつまでも鎮座していてほしい。


 



2016/1月/7日

ジャネーの法則

あらら、という間に年が改まってしまった。 この年末に年賀状を書きながら 「あれ?つい『数ヶ月』くらい前に年賀状書いたばっかりのような気がする」・・・と、 しきりに感じていた。 同じ作業を行っていたのは前年末のことであるが、それから一年過ぎたなんて到底思えない。 歳を重ねるにつれ  どんどん、ますます、一層、坂道を転げ落ちるかの如く時間の経過が早くなっていく。

一世紀以上も前にフランスの哲学者ジャネーさんがこのことに気づき 「20〜80歳までの年月は、生まれたときから20歳になるまでと同じ長さのように感じる」と提唱したそうである。 つまり、成人を迎えた 時点で既に半分人生を終えている(と体感する)・・・。

そう、今思い起こしても不思議なのは、小学生低学年のころの時間の経ちかた。 下校して一旦ランドセルを家に置き、友人宅に出掛ける。 思いっきり遊び、夕方5時になるとサヨナラを告げて帰宅する・・・ 毎回「今日もたっぷり楽しく遊んだなー」と満足して帰路についたものである。 しかしよく考えると、その遊び時間は ものの2〜3時間しか無かったはず。 大人になった現在では、決して2〜3時間では たいした作業はできやしない。 しかし子供のころの自分は、何の困難もなく そんな調子で連日過ごしていたのである。

子供というのは 新しい発見や経験が毎日満載であるために 時間の密度が濃厚なのだろう。 大人になると そんな新鮮味が生活から失われ 単調で変化の乏しい毎日を送ることとなる。 そうなると時間の密度が疎となり、あっ という間に年月が経過していってしまう。


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幾つになっても少年少女期のように常に新たなることに取り組んで生きるよう努めれば、 少しでも時間経過の体感スピードは緩和されるそうである。 それを聞いてから何年にもなるが、今回も またもや本格的に実践されぬまま、 年を越してしまった・・・(泣)。


 



2015/12月/16日

たきび

実家に植えられた楓の落葉が夥しく、庭に散らばっているのを掻き集めて片付けるのに一苦労だった。 回収した落ち葉は大きなゴミ袋一杯になったが、 最近では自宅庭での焼却処分は難しく、 普通ゴミとして廃棄するしかないようである。

わたしが うんと子どもの頃は 今ごろの時節、その同じ庭で 父が枯れ葉を燃やしていたし、 近所の空き地などでも 時折焚き火を見かけたりした。かなり煙もうもうであったが、 別段近隣から何か文句を言われた憶えもなし。まぁお互いさま ということで特に問題はなかっ た。

ところが現在では住宅地での焚き火は御法度、というのが不文律になっているようである。 洗濯物に煤がついたり煙たくなったりする、火の粉が飛んでくるかもしれず危険・・・等、 様々な苦情が寄せられると聞く。 この住まいのごく近くにある保育園も毎年 焼き芋パーティを催しているが、 そのたび事前に「ご迷惑おかけします。当日は消防署にも通知し、 じゅうぶん注意しますので何卒ご理解を」という旨の紙片が 近隣諸家に配られる。 このように気を遣わなけれ ば、サツマイモひとつ焼くのも 気軽に楽しめないご時世となった。


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童謡「たきび」は昭和16年に発表されたものらしいが、 その時代は民家の建ち並ぶ巷での焚き火でさえ、 ごく平凡な冬の日常の風物詩だったのだろう。 秋の 樹々の色付きが終わり、その落ちた枯れ葉を集めて火を焚く、 通りすがりの子どもたちが足を止めて暖まってゆく・・・ 何とも情緒を感じられて いいわね〜と 思うのだけれど・・・ 平成の今、少なくとも街中では もはや目にすることの出来ない光景。 昭和は遠くなりにけり。


 



2015/11月/11日

柿の木の家

柿の美味しい季節が到来すると思い出す一軒の家がある。 初めてそれを発見したのは もう20年近くも前のこと。 場所は東京・渋谷から伸びる私鉄の とある駅のすぐ近く。 この界隈はオシャレなお店が建ち並んで若者で賑わっているのだが、 当時その合間には昔ながらの家々が いまだに点在し、昭和時代の情緒が厳然として残っていた。 そんな不思議な雰囲気が醸しだされる一角にその家はあった。

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そのスポットだけ時が止まったような、 半世紀も前にタイムスリップしたかのような空間である。 いかにも「サザエさん」一家が住まっていそうな、これぞまさしく古き東京の民家、 といった何とも趣のある佇まいに強く惹かれた。 そして庭には、柿の木が・・・季節はちょうど晩秋であり、 たわたに朱色の実がなっていた。 その一本の木により ひなびたレトロ風情がますます引き立てられてしばし見とれてしまった。

以来 上京するたびに その家に「会いに」渋谷から私鉄に乗った。 時季は必ずしも柿が実るころではなかったが、その木が庭に植えられている、 というだけで昔ながらの落ち着いた上品さを視界一杯で感じられ、 静謐なひとときを過ごすことができた。

最後に訪れたのは10年くらい前だろうか。 次第に もうあまり上京する用事も無くなり、 その柿の木が植わったお気に入りのあの家が現在どうなっているのか、わからない。 けっこうな年月が経過しているので、 残念ながら最早 建ってはいないのではないか という可能性のほうが高いかも・・・ むろんまだ現存していてくれたら・・・と願う。 だが一昨年だったか 久々の上京の際、敢えて確かめに行く気にはなれず、 訪れることなく帰ってきてしまった。 今では専ら かつて写真に残した姿を眺めて 思いを馳せている。


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柿の木。昭和の空気を漂わせる良質なアイテム。 それが一本でも庭に存在していれば、懐古的情趣が かくも増すものかーーと、 しみじみ感じ入っている。


 





2015/10月/18日

ラッキーマウス

秋深し。古い木造町家なので、夜寝ていると 頭の上で カタカタ、コトコトと細かい足音が響く。 屋根裏でネズミたちが 元気に走り回る時節である。

先日 実家の本棚から 昔のコレクション「サザエさん」の単行本が出てきた。 読み進めるうち、思いのほか ネズミが題材になっているものが多いのに気付く。 つまり昔の日本では 一般庶民の家庭に、ごく普通に ネズミが お住まいになっていた ということである。 昭和の時代、とりたてて珍しくもなかったのだろう。

あのウォルト・ディズニーが若い頃、 貧しいがため仕事場で寝泊まりしていたことがあったと聞く。 そこではネズミたちが出没し、特に懐いてきた一匹を モーティマーと名付けて可愛がったそうである。 やがてそれが のちのミッキーマウスのモデルとなった、とか・・・。 衛生的には どうかとは思うが それは置いといて、 ディズニーが そんな生活を送らなければ・・・その人懐っこいネズミに出会わなかったわけで、 ミッキーというキャラクターが誕生することもなかったはず。 不本意にも 仕事場での生活を強いられたおかげで、そこに現れたネズミが大成功をもたらしてくれた。 彼にとっては まさに救世主 ということに。人生とは不思議なものである。


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ところで昨年、わたしも家の中で 至近距離で じっくりと一匹のネズミを観察する機会があった。 お目々くりくりの 愛らしい顔をしているので、 害獣とはわかっていても あまり積極的に駆除しようという気が起こらない・・・ そのまま見逃したが、ディズニーのように そのネズミが わたしにも幸福を運んできてくれないかなー。


 



2015/9月/13日

苦手な引き算

タイトルの通り・・・じつは わたしは 引き算が苦手である。

苦手、というだけで 出来ないわけでは勿論ない。 正確に言うと、いわゆる「繰 り下がり」の引き算に時間がかかるのである。 たとえば 「3015−876=?」といった計算がもたついてしまう、 即座には出来ない。 最初に一の位を見、5から6は引けないから おとなりの十の位から借り・・・ などという手順が恥ずかしながら にわかにはピンと来ない。

小学校低学年のうちに当然 習うはずのこの計算、 しかし信じられないことに その方法をマスターせず曖昧なまま、 わたしは中学時代を過ごした。 否、もしかしたら そのまま高校時代にさえ突入してしまったかも・・・ そう、わたしは、ずぅうっと「数学」の授業を 、 この手の計算に まごつきつつ 受けていたのである。 その計算をする必要が生じた際は、とにかく適当に答を見つくろい、 改めて足し算にて検算し、運良く合っていればそのまま、間違ってい れば考え直 し・・・ 今考えるとそんなまどろっこしいこと繰り返していたのかな・・・ いつかは何とか解けるのではあるが、時間がかかる。 それを数学の成績が悪かった、という言いわけにするつもりは毛頭ないが、 とにかく他の生徒と比べて ずいぶん時間を損していたことは、確か。


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さてそもそも、なにゆえ こうした事態を招いてしまったのか。 大人になってから冷静になって原因を検証すると、 恐らく小学校で まさにその繰り下がり引き算を習うとき、 学校を休んでいたのではないか という結論に達した。 わたしは滅多にお休みしない子どもであったが、 とにかくその授業を受けた記憶が一切無いのだから そういう事情によるもの、 と考えるのが妥当だろう。 たぶん珍しく風邪でもひいて数日間休校したことがあったのかもしれない。 結果、そこだけみごとに「落ちこぼれて」しまい、 誰かに教わろうという努力も怠り、 放置したまま 学年を重ねてしまったのだ と推察する。 当たりまえだが全ては自己責任。

遅ればせながら長じてその計算法を改めて復習したあとも、 依然としてやはり苦手である。 「何故おとなりの位から借りるのか」 「引かれる側の位の数字がゼロの場合は『9』として考えて引くのは何故?」などと、 大きくなってからでは頭の中で理屈が先行してしまう・・・ 小学校低学年の頃であれば、そんな理屈は抜きで素直に教えられるがままに習得できるのだろう。 したがって この年齢に達しているにもかかわらず、 その都度 難渋することに変わりはない。 幼い時分の学習のつまづき。 かくの如く長年経っても影響を及ぼし、尾を引いていることに われながら驚愕!している。


 



2015/8月/19日

深夜します遺族間

昨年大晦日に デパート屋上遊園地について記したが、デパートに限らず巷の昔ながらの遊園地の類も、 すっかり廃れて殆どが姿を消してしまった。 わたしが幼女時代に親しんだ場所のトップは、過日も記したが断然 阪神パーク。 そして宝塚ファミリーランドが続く。

以上2箇所は既に姿を消している。 現在、国内で 昭和・あるいは それよりもっと遡った時代から続く遊園地は、 もう数えるほどしか残っていない・・・東は浅草花やしき、西は ひらかたパーク・・・など。 神戸に須磨山上遊園というのもあるが、わたしは一度も訪れたことがない。 今さらながら なるべく早いうちに訪れねば、と画策している。

近畿圏以外でも同様の場所がないか と検索していたら、 遊園地というわけではないが、 香川・高松に昭和44年オープンの新屋島水族館なる場所があるのを知った (当初は「屋島水族館」だったとのこと)。 しかし残念、どうやら今年中にも閉鎖されるそうで、 この近くの人びとにとっては、たいへん惜しまれつつの閉園となることだろう・・・ またひとつ、周辺の子供たちに親しまれている 古くからの遊び場が消えてしまう。

ところでこの「新屋島水族館」を出そうと「しんやしますいぞくかん」と打ってあらわれたのが、冒頭のタイトルである。 字列を見ただけでは「何のこっちゃ???」・・・このPCでエディットしていると、 しばしば あまりにも意表をつく変換が出てきて面喰らう。 最早 脱帽ものである。唐突に画面上に表示された途端、キーボードを叩く指が硬直してしまう。


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およそ想像もつかない 変換を あっさり やってのける、その斬新なセンス! おそれいりますわ。


 



2015/8月/5日

謎の熱病

昨夏の後半は、デング熱の話題でもちきりであった。 その一連の報道を連日 耳にしているうち、 不意に遥か昔の ひと夏の闘病生活を思い出した。 普段は忘却の彼方へと追いやられているが、あのときの苦しさといったら、 一旦記憶の表面に現れると、鮮烈な難行苦行体験として よみがえる。

20歳を迎える年の7月下旬、通う大学は夏期休暇最中。 ある日突然 夥しい悪寒を感じ、倒れた。 それが、その夏休みの残り ほぼ全て床に臥すという 悪夢の日々の始まりだった。

熱は一気に40度を超えた。 その時のわたしの寝床があったのは、冷房無しの部屋。 気温36度にもなる環境であったが、寒くて寒くて仕方がなかっ た。 熱が僅かでも上がるたび、身体が凍えるようで ガタガタと震えが止まらなかった。 真夏でありながら毛布を5枚も6枚も被ったが、悪寒は一向に治まらない。 そんな状況が3日も続いただろうか。

これは さすがに尋常ではない病状だ と親も心配し、 重症のわたしを引き摺るようにして近所の医院まで連れて行った・・・ しかしその医師は わたしの喉をちょっと診ただけで あっさりと「夏風邪」と診断を下した。 そのとき本人は意識が朦朧とし、自ら言葉さえ発せられない状況。 「そんなはずない、ただの夏風邪なんかでありっこな い!」と頭の中では悲鳴をあげていたが、 意思表示は不可能。 そのまま何も言えず帰途につくしかなかった(薬を処方されたかどうか、もはや憶えては いない)。

そののち数日後、少しは熱がひいた(それでも38度くらいはあったかな)時分に、 電車に乗って大きな病院を訪れたのだが 「病状が最も重いときに診てみないと わからない」と言われてしまった。 それはそうなんでしょうけど、一番シンドイときに長距離を動いて来院できるわけはなく・・・ 結局 本当に「確かなことは わかりません」で終わってしまった。 それでも血液検査はしてもらったが、唯一「血沈値が べらぼうに高い」などと言われた記憶がある (それ以外にも異常があったかもしれないけど、一切忘れた)。

とまぁ、2度の通院に関して 骨折り損のくたびれもうけ、という印象だけが残っている。 そしてその2度目の通院から帰って間もなく再び熱が上がり、またもや40度超え。 再度 毛布5〜6枚を被りつつ 蒸し風呂のような寝床で震えながら身体を横たえる時間が過ぎていった・・・。 その後のことは今となってはあやふや。 たぶん一週間くらいしてから 徐々に熱は下がっていったのであろうが、大事に大事をとり、 夏休み最終日(8月末日)まで 外出を完全に控えて ひたすら床の中で おとなしく静養して過ごした。 そして9月、授業が再開するころには概ね もとの健全な体調を取り戻していた。


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それっきり・・・その熱病は再発もせず、 その後 何度も何度も巡ってくる夏を迎えても 同様の状況に陥ることは全くなく、 今日に至っている。あの ひと夏はなんだったんだろう・・・でもひとつだけ「不幸中の幸い」がある。 それは、当時わたしが学生であり、しかも丁度 夏休みにあたっていた ということ (通学の必要がない期間だったのはラッキーだった)。 数年後にはOLの身分となったが、 もし社会人になってから この災いが降りかかっていたとすれば当然 長期間休職するハメになる。 いくら病気とはいえ一ヶ月以上も仕事を休んでしまえば、恐らく解雇は免れなかったかもしれない。

昨年のデング熱報道の際 「実際は 昔からデング熱は 国内で発生している」とも言われていた。 20歳目前の夏、わたしを襲った禍々しい あの病が そうだった、 と言うつもりは決してない(症状が似ているところもあるが、一致しないところもあるし)が、 結局「原因不明の」熱病であったことは明らかであ る。 ひょっとして、現在おおやけに騒がれてはいない 熱帯由来の なんらかの熱病がその正体だったかも、 という気もしている。 当時も、そして数十年経った今でも謎のまま。 因みに あの時期、少なくともわたしの周辺で同様の病に倒れた人の話は 一切聞くことがなかった。


 



2015/7月/19日

ジョニーの命日

兵庫県西宮市の「甲子園阪神パーク」が惜しまれつつ閉園してから、 いつの間にか もう12年以上になる。

幼少期を西宮市で過ごしたわたしにとっては、まさに遊園地イコール阪神パークと言っても過言ではない。 そして昔の一時代、この遊園地は世界のネ コ科研究者から注目を浴びていたに違いない。 ヒョウの父親とライオンの母親から生まれた「レオポン」が飼育されていたからである。

何を隠そう、わたしは初代レオポンの2頭と同年・同月の生まれである; その翌々年にも3頭生まれた。 そうした親近感のせいか今でも「阪神パーク」 と聞くと、 まっさきに思い出すのが 彼らの記憶。 顔つきや体つきはライオン、しかし全体はヒョウの斑模様で覆われていた。 雄は長ずるにつれライオンほど立派ではないが、ちゃんとタテガミを首廻りに纏った風貌となった。

子供のころ繰返し訪れ、何度も何度もレオポン舎に足を運んだ。 しかし年月経つにつれ自然の摂理で、一頭 また一頭と徐々に去ってゆく。 そしてとう とう一頭きりに・・・かつては他の数カ国でも誕生したようだが、 阪神パークのこの一頭が世界で最後の一個体となった。 わたしは成人してからも2〜3度、この雄レオポンに会いに行っている。 伸ばした両前足を行儀よく揃え、 スフィンクスの如く凛として前を見つめ独りで静かに座っていた姿が脳裏に焼き付いている。 ひとりぼっちになって淋しいね、などと声掛けした憶えがあるが、あの子自身はどういう心境だったのかな。


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そして1985年7月19日。 子供たちで賑わうはずの夏休み目前にして彼は旅立ち、 地球上からレオポンという動物が遂に姿を消した。 人間にすると100歳をゆうに越える大往生だったらしい。

本日は、その最後のレオポン「ジョニー」が没してから、ちょうど30年目の命日です・・・。


 



2015/6月/30日

夏越の祓

この時季となると 境内に茅の輪が設えられ、本日は夏越大祓式が行われる神社も多い。 この行事自体は 日本の各地で行われているようだが、京都には「水無月」なる和菓子を食す習慣がある。

茅の輪くぐりも水無月も、季節を感じる趣ある響きではあるが、 個人的にはこれらの言葉を耳にしてまず思うのは「あー、今年も上半期が終わってしまうんだ」ということである。 そして「明日は吉符入りで、もう今年も祇園祭の到来か・・・」と続く。


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しかし確かつい最近、まったく同じことを心の中で呟いた気がしている。 本当に、つい最近! ってことは、いかに1年が 瞬く間に過ぎてしまったか、ということ。 正確に言えば そう「感じてしまう』年齢に達した、ということか。 昔と比べると まさに矢のように日々が過ぎ去って行き、あっ と言う間に1年が巡ってしまう。 「坂を転げ落ちるように」という表現がすこぶる的を射ている。

これはもう、いいかげん心して 1日1日を生きて行かないと「残り時間」はますます短くなってゆくばかりだわ。 この時節になると その同じ言葉を繰り返しつつ 早や何年が経つだろう。 ましてや年を重ねれば重ねるほど、時間の経過にますます加速度がついてくる。 それは重々わかっているけど、でもまぁ何とかなるんじゃない? そう考えながら今年も水無月を口にする。


 



2015/6月14日

懐メロの定義

銭湯で懐メロを、という表題で 昨年晩秋に一度書いたのだが、 そもそも「懐メロ」とは いつごろの曲のことか、と言えば 当然それは 人それぞれ年代によって異なるはずである。 理由は わからないが、わたしにとっては「1970年代」まで。 つまり1980年以降の曲は もう懐メロとは呼ばない(自分としては)。

そんなことに最近、脱衣所で昔のヒット曲を流している近所の銭湯にてふっと気づいた。 そう考えたのは 「不思議なピーチバイ」(竹内まりや)と「さよなら」(オフコース) が続けて流れていたことがきっかけである。 前者は1980年の春、某化粧品会社のCM ソングとして大ヒットした。 むろん今の若人たちは そのことを知らないだろうから「懐かしさ」さえ感じようがないでしょう (生まれる前に流行った曲なのだから)。 しかしわたしは 改めて久々に この曲を耳にし、 確かに懐かしくはあるんだけれど さほどノスタルジックな気分に浸るものでもない、と感じた。

対して後者「さよなら」のほうは、耳に触れるたび昔を思い出して感傷的な心持ちとなり、 したがって確実に「懐メロ」の範疇に入るのである。 この曲 がミリオンセラーとなった年も 同じ1980年ではあるのだが、 リリースされたのは前年・1979年の暮 というのを何故かハッキリ憶えている。


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というわけで この2曲に対する印象を比較した結果、 わたしにとっての「懐メロ」は1970年代が終了するまでに世に出た曲、 という結論に達したしだいである・・・ そしてその時期は自らが成人した時分と一致している。 かような理由で個人的には 懐メロ の定義とは、 その本人が「未成年」のころに耳に馴染んだ曲なのでは、と思っている。


 



2015/5月/22日

昭和銭湯

手塚治虫氏の少年向け漫画の中では「バンパイヤ」が特に好きである。 「少年サンデー」に連載されていたのは もう半世紀近くも昔のこと (連載時にはテレビでも実写版が放映されていて 水谷豊少年が主人公を演じ、 事実上のデビュー作となったと聞く)、主な舞台は東京。 先日久々にその単行本のページをめくっていると  たぶん練馬あたりの銭湯の洗い場シーンがあり、 入浴客で大盛況の様子が描かれているのに気付いた。 当時の都会の住宅街、これがごく普通の光景だったのである。

さて現時点で、わたしは銭湯通いをしている。 たしかに最初のころは「好きなときに入浴出来ない不便」を懸念していた。 しかし何ヶ月も経つと、その不安は払拭された。 そもそも みずからの生活スタイルのほうを銭湯の営業時間に合わせれば 特に不都合とは感じなくなるわけで、 何より浴室の清掃をせずに済む気楽さは不便さを補ってなお余りある。 お手頃とはちょっと言いにくい料金ではあるが、 連日豊かな量のお湯の提供および場内を清潔に保ってくれる、 そんなお風呂屋さんの大変さを考えるとそれくらいしかたない。 そのかわり嬉しいことに家のガス代は格段に減る(不思議と水道代は、あまり変わらない)。


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わたしがヒトケタの年齢の時分は内風呂の無い家庭はさほど珍しくなかった。 コンビニなど当然 皆無で、スーパーと呼ぶ店舗でさえも滅多に見かけず、 あったとしても大抵は夕方にはもう閉店 (因みに昔、デパートは すべて18時に閉まり、 週に一度の定休日があったし お正月の三が日は完全休業だった)。 銭湯が営業している宵のうちにお風呂に入りに行く→ 当たりまえ。 商店が閉まる夕刻までに買い物に行く→ それもかつては、当たりまえ。 そして夜になったら みんな、寝る! → そんなの、言わずもがな。 それで日本は無事に回っていたし、文句を言う人も居ず ほぼ毎日 概ね平和だった。 翻って現在、「便利」だからと言って その状況が「幸福」に直結するわけでは決してない。

今 わたしが住まっているエリアには まだまだあちこちに銭湯が点在する (このような地域は けっこう恵まれていると言えるだろう)。 定まった銭湯ファンは厳然として存在するが、 それでも全国的に廃業がすすんでいる という事実は残念。 最近は時どき外国人観光客の姿も見かけたりするし、 なんとか踏ん張ってもらって永い存続を願っている。 内風呂と比較して「体がキレイに洗われている」 「芯 まで暖まって湯冷めしない」。 これらを明らかに実感できるのは心地よい。 皆さん、たまには「外風呂」、行ってみません?


 



2015/5月/1日

続・ヒーローも完璧ではない

・・・で、売る虎 じゃない ウルトラマン関連で、もうひとつ。

初代ウルトラマン主題歌の3番は、いちおう
onpu_1光の国から 地球のためにonpu_2
などとなってはいるが、 怪獣たちがお越しになる場所って 他の国は無いのね 100%日本なんだよね・・・ まぁそれは予算の都合で、という事情で目をつぶっておこう。

この日本でよく戦ってくれるけど、怪獣が現れる頻度って どれくらいなんだろう?  そのたびに街が破壊されている(それも大抵 東京辺り)。 繰り返し壊されても いつの間にか何度でも あっさり復旧されているのには、 おそれいる (普通に考えれば早晩 日本は破産してしまうだろうに)。 そしてその都度 怪獣 は倒されて一件落着、めでたしめでたし、 ということで ほぼ毎回おしま い・・・しかし! 決してそれで終わって すっきり目出たいはずない。 「後始末、どうすんの?」

当のウルトラマンは胸のランプがピコピコ赤く点滅し、 3分過ぎるとパワーがなくなってしまうとかで アッという間にシュワッチ!、 と宙へと飛び立ち去ってしまう。倒した怪獣そのまんま放ったらかして。 見守っている人たちは皆 やれやれ、とホッとしている様子だが、 さてこのあと、どうやって始末するんだろう。あんな巨大な図体、 いちいち掘って埋めるのであればさぞ大変・・・そんな亡骸を いったい何体 葬っていることやら。 並々ならぬ手間ひまと人手・労力かけて、毎度毎度 ご苦労なことである。


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本来ならばウルトラマン本人が その作業を済ませてくれれば一番いい。 どうせなら 最後まで責任もって処理してくれれば有難いんだが、 無理なことは頼めない。彼にはそこまでの余裕は到底ない。 埋葬する時間が無ければ、せめて宇宙の彼方の どこかへ運んでいってくれれば とは思うが、 両腕に亡骸を抱えて飛び去る姿を想像すると さすがに絵にはならないしねぇ。

というわけで仕方なく 戦い終わって倒した怪獣そのまんま放置して 彼は地球をあとにする。 それしかないのである。不本意ではあるが。


 



2015/4月/21日

ヒーローも完璧ではない

ウルトラマン世代 である。

いわゆる変身もの(変装、ではなく)・・・ 普通の人間(に見える)の青年が巨大な超人と化して戦う というタイプのヒーローは、 ウルトラマンが最初であろう。 当時の子供たちの多くがこの斬新な設定に夢中になり、空前の人気だった。 しかしはじめのオンエアのころ(昭和40年代 = 素直で純真な 幼い少女期) は気にもならず ただ熱心に毎回観ていたものの、 年月経って だんだんいろいろひねくれた知恵がついてくると、 疑問を感じたり納得出来なかったりする点が結構あることに気づく。

当たり前だが変身場所は屋外。 だが彼は毎度 ほとんど周囲に気を払っていない。 変身の瞬間の現場は絶対誰にも目撃されてはならない と幾重にも注意するのが鉄則であるはずで、 入念に周辺を見渡し 完全に無人であることを確認するのは当然であるべき。 一刻を争う非常事態であるのはわかるが、あまりにも不注意すぎるんじゃないかなあの人。


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その後のウルトラシリーズの主人公たち皆さんも同様であるが・・・ ちなみに個人的にはウルトラセブンが一番好きだった (シリーズ人気投票でもトッ プらしい)。 何より主題歌が格好よかったねぇ〜特に冒頭部分の和音やらコーラスやら。 つづく。


 



2015/4月/10日

桜の名所

結局 今年の桜は 満開のあと ぐずついた天候が続くことが多く、 青空に映える日があまりないまま終焉を迎え始めた。

毎年この季節には、桜名所の開花具合が連日発表される。 皆さん挙ってそういう場所に出かけてゆくため、 ここ京都市では その方面へのバス車内は すこぶる混み合う。

そこでいつも思うのだが、なにゆえ こうしたポピュラーすぎる名所を目指す人びとが多いのだろう。 皆が皆 同時に押し寄せるのだから混雑するのは当然・・・それでもその煩わしさへの犠牲を払ってでも、 名の知れた お花見スポットには 大勢が足を運ぶ。

この時季、あらためて巷を見渡してみればわかることだが、どの街々にも思いのほか桜の木々が植わっている。 関西界隈も、ちょっと私鉄に乗って車窓 からの眺めに目を向ければ、 考えているよりはるかに多くの桜花が ピンク色の雲のごとく視界に次々と飛び込んでくるのに気づく。 線路沿いをはじめ、近所の公園や名も知らぬ川の岸・・・並木となって迫ってくる光景もあるし、 たとえ1〜2本の木であったとしても 盛りのころの咲きっぷりはみごとなものである。 そういうところでも充分に お花見は堪能できるはずで、 桜を見に来たんだか人を見に来たんだかわからない場所に身を置きつつ しっとりと落ち着いた情趣を味わうのは、なかなか難しいのでは・・・。

以前住んでいた市郊外の新興住宅地の一角に、 小川沿いに数十メートルほどではあるが ひっそりと桜並木が続いていた。 何故かそこは滅多に人が訪れず、超穴場の お花見スポットであった。 ちゃんと木の椅子まで設えてあって、 うららかな日中 一人で訪れては満開の桜を心ゆくまで楽しんだものである。 周囲に人影もなく、まさに「絶景独り占め」状態。 至福の時間を幾度となく過ごすことができた。 落花盛んのころともなると 華麗な花筏が水面に浮かぶ。 その美しい趣は、人一杯の哲学の道を凌ぐほどだった。


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マスコミの 桜名所の開花情報にばかり頼らずとも 日本の春、 すこし周囲に気を配れば「ごく身近に」お花見スポットは 用意されているもの、と思っている。


 



2015/3月/28日

さくら

7年前の今日、父を荼毘に付した。 斎場への行き帰り 車で通った道は川沿いで、堤の桜並木が5〜7分咲きであった。 車の進路のずっと向こうまで 美しい淡紅色が春霞の中に溶け込んでいた情景を鮮やかに憶えている。 しかし今年はというと本日の時点で、ここ関西エリアは開花宣言がされたばかり。 年によって同時季でも咲き加減が違うものである。

それでも年によって多少は異なるが、同じエリアでは さほど大差は生じない。 わたしの生活圏内では概ね3月下旬〜4月上旬。どの年もそれはほぼ変わらない。

だが地域が異なると その事情も変わってくる。 一昨年、関西では殆ど葉桜と なってしまった4月半ば、岩手を訪れた。 桜はまだ莟が固く、代わりに白いコブシの花が一斉に満開であった。 言うまでもなく、この地方の人びとにとって桜の開花は もうしばらくあと、 というのが当たりまえなのである。 さらに もっと北、北海道に行くと大型連休の時分が盛りなのだろう。


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かくの如く桜前線はおよそ一月半を経てやっとのことで日本列島を南から北へと縦断の旅を果たす。 自分の住まう場所の桜が いつ咲き始めていつ満開で・・・などというのが毎年の常であっても、 ほかの地域では状況は それぞれ異なる。 自らが当然の如く馴染んでいる日常は 決して普遍的な常識ではない。 今後も父の命日、とりもなおさず桜の時節になると 改めて そのことに思いを馳せるだろう。


 



2015/3月/15日

野菜の味

びっくりするくらい大玉のキャベツを安く売っていた。丸々ひとつ買おうと思ったが、 これだけで冷蔵庫の野菜室のスペースが全て占領されそうである。 脇を見ると同じものの半玉があったので、少々割高ではあるが そちらを購入することにした。

さて、レンジを使って柔らかく蒸してみると、なんだかふんわりと心地よい香り。 生(き)で口にすると、「甘い!!」

そこで突然、キャベツは「甘藍」が別名 だと思い出した。 そう、この名の通り、もともと甘みのある野菜であるのだ。 しかし 仄かな甘みを有しているのは以前から知ってはいたが、 ここまで しっかりとした甘さに感動した経験は かつて無い。

野菜の持つ昔ながらの本来の味は 次第に失われてきているのではないだろうか。 昔の胡瓜は もっと特有の苦みの混じった風味が強く、子供の舌には 馴染みにくかった。 それでもチーズとの相性は抜群で、胡瓜とチーズをはさんだサンドイッチが好きだった (そのチーズにしたって、昔のアクのある刺激的な味は薄れてきている)。 だもんで今、胡瓜とチーズのサンドイッチを作ってみても、 子供時代に味わっていた美味しさは さほど感じられない。


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おそらく野菜(以外の食品にも言えることだが)独特の青々しい風味は徐々に消費者側が受け付けなくなり、 年月が経つにつれ 万人に好まれる味へと作りかえられてきてしまったのかも・・・ 同時に、個々の持つオリジナルの味が消失してしまったのは やはりさびしい。

因みに、冬の厳寒で育った作物は 凍結しないよう自身で糖度を増す とのこと。 わたしが買った半玉キャベツも 寒冷地で育てられたものだったのかな?


 



2015/3月/4日

続 Typhoon Family

幼い時分の勘違いは誰にでもある という話を書きながら、 かつて村上春樹氏のエッセイに綴られていたことを思い出した。 子供のころ、「記者会見」を「汽車会見」だと思っていたそうな。 会見場は揺れる汽車の中・・・それも何故か「夜汽車」であるらしい。 大人になっても「記者会見」という言葉を聞くたび、 人びとが中で会見を行っている夜汽車が暗闇を走り行く情景が思い浮かぶそうで、 世界の村上春樹といえど かくの如きであるのだから わたしがちょっとばかし失笑を買うような勘違いをしたって どうってことあるまい。

ということで鉄道繋がりということで白状すると、 わたしは子供のとき「小田急電鉄」を「オバQ電鉄」だと思い込んでいた。 昔は、「春闘」というと決まって私鉄がストライキを決行し、 そんなときは学校に教職員たちが通って来られないので当然休校となる。 お休みだ〜!と喜びつつも朝からテレビのニュースにかじりついていると、 首都圏の私鉄のスト状況が報道されるたび必ず「小田急電鉄」、 という言葉がアナウンサーの口から発せられる・・・子供のわたしの頭には、 当時 一世を風靡していた藤子不二雄作の漫画・オバケのQ太郎しか思い浮かばない。 「さすが大人気のオバQ。鉄道会社の社名にまでなっていたのか!」と 妙に納得して感心したものである (いくらなんでも、この間違いには中学生くらいのときには気づいたが、 その後 長じて30代前半の5年間、奇しくも小田急沿線に住まうことになろうとは、 まさか予想もしなかった)。

そして成人したのちも・・・「シマンテック」という会社がありますよね。 この会社、OSを保全するNorton何とかというソフトウェアを作っていて、 かつてMACを持っている人にとっては必携だった (うちはその頃からMACです)。 ちょっと調べてみたら日本で法人ができたのは20年くらい前のことらしくて、 わたしはとっくにレッキとした大人になっておりましたが、 それでもその名を聞き始めた時からかなり長いあいだ、 それを「四万十川流域のベンチャー企業」だと ずぅっと信じていた、疑う余地無く。 30年以上も前に米国で設立されたソフトウェア会社だと知ったのは、 わりと最近、数年前のことである。


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この年齢で、これだもの。もはや メガトン級とすら呼べる赤面モノかもしれないが、 ひとり思い込んでいただけでほかの人に話さずに本当に良かった・・・。


 



2015/2月/22日

Typhoon Family

この国で暮らしている限り 台風というものは夏季に到来する と相場が決まっているが、 それはあくまで日本を襲うものに限ってのことであり、はるか南方の海上では今年になって 既に2つの台風が生まれているそうである。

夏のシーズン、台風がやってきて大荒れの天候が続き、去ったあとよく「台風一過」の青空が 広がる・・・などと言われるが、わたしは幼い頃、これを「台風一家」だと信じて疑わなかった。 大型台風はお父さん、そのあと少し小さめなのはお母さん・・・その後の小型は子供の台風なんだ、 などと勝手に「ファミリー像」をイメージして作り上げていた。 そんなわけで、今でも「台風一過」という言葉を天気予報で耳にするたび、 台風家族の情景が無条件に頭の中で構築されてしまう。


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誰にでもこんな拙い勘違いはあると思うのだが、わたしの場合、けっこう年長になるまで・・・ たぶん中学生の時分ごろまで そう思い込んでいたのだから、恥ずかしくて情けない限りである。


 



2015/1月/15日

独楽まわし

小正月ということで、松の内(関西流の)も本日で終わり。

「お正月には 凧揚げてー、独楽(コマ)を回して遊びましょ〜」 という素朴な歌詞が 新年の子供の情景を反映していたのは、何時ごろまでのことであったのだろう。 

それでも少なくとも昭和40年代ごろまでは、 お正月に限らず確かにそういう遊びが周囲で普通になされていた。 家の前が だだっ広い田んぼだったので、 冬の風の強い日には子供たちが挙って凧を揚げていた。 そしてわたしも友人たちと共に うちの庭で よく独楽で遊んだ記憶がある。

独楽というのは最初とっつきにくく なかなかうまく まわせないものであるが、 一旦コツを覚えると あっという間に上達する。 わたしも失敗を幾度も繰り返しているうち、 女児ながらも数日後には上手に まわせるようになった。手から離れて最後に紐をグッと引く瞬間が快感だった。

そんな遊びから長らく遠離ったのち、数年前 実に久々に独楽を手にしたことがある。 遥か昔の感触を何とか思い出しながら挑戦してみたが、 全然ダメだった・・・もう一度 ひとしきり練習すれば、 かつての如く成功にこぎつけそうな気はするが、残念ながら周囲に練習出来る場所は見当たらない。

そう、独楽回しをするには、 ひとに迷惑をかけることのない充分なスペースが用意されていなければならないということ。 数十年前は 誰にとっても ごく当たり前のように身近にあった環境なのだが、 今 都会で そんな状況に恵まれている子供はどれだけいることだろうか。 日本の伝統的な正月遊びも、現代の子供たちにとっては 遠いものとなってしまったような・・・。


 



2014/12月/31日

デパート屋上遊園地

時折、JR高槻駅からバスに乗って実家にかえるのだが、 この駅の南側に高槻松坂屋が建てられてから35年になる。 大都市の百貨店とは異なり小規模ではあるが、 現在ある点において この店舗には希少価値が備わっている。 それは「関西圏で、唯一『屋上遊園地』が残っている」というものである。

わたしの幼少期、大概の百貨店の屋上には遊園地があるのが当たり前であった。 親に連れられての買い物のあと、子供は そこへ行って遊ぶのを楽しみにしていた。 多くの子供たちにとっての「定番」のコースだったのである。

しかしいつしか時は移ろい「遊園地」自体が徐々に廃れてゆく。 阪神パークや宝塚ファミリーランドなど、 子供時代に親しんだ場所は 淋しくも次々と閉園してしまった。 そしてデパートの屋上にある遊園地も例外ではなく順に姿を消し、 今や全国的に風前の灯である。

しかしここ、北大阪の一都市に関西で唯ひとつ、残されている・・・ 規模は小さく相当地味ではあるが、厳然として確かに存在している。 これはもう、奇跡に近い。

気候天候の良い休日に様子を伺いに行ったことがないから 今どれくらい人がいるのかいないのか現状はわからないが、 どうか ここだけは無くさないでほしい、と願うばかり。 そのためには、ぜひ人々で賑わってもらわないと。 垢抜けないけどホッとできるレトロな空間。 その「最後の砦」となった高槻松坂屋の屋上に、 坊ちゃん お嬢ちゃん、遊びに行ってあげてね。


 



2014/12月/10日

子供時代のお菓子

むかーし幼かった時代に好きだったお菓子を食べたいっ!と、むしょうに思う ことがある。 筆頭は 不二家「フランスキャラメル」。巻毛の西洋の女の子の顔が真ん中、 トリコロールのパッケージで 味もバニラ、コーヒー、チョコレートの3種類。 ごく小さい頃よく買ってもらっていて、小学生のときは何故か無くなって、 高校生くらいのときに再び市販されて 夢中で食べて大好きだった。

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小学校低学年のころには、明治で出していた「シャトーチョコレート」に中毒に なっていた。 テレビでCMも流れ、 相良直美さんが「ラララ シャトー〜〜onpu」なんて歌っていたっけ。 あの免税店なんかでよく売ってるスイスのトブラローネ(TOBLERONE)を模したもので、 三角のバーの変形チョコである。

あと、森永ハイクラウンチョコレートのクランチ、なんてのも。 ミルクとビターの2種類は、ちょっと前まで 100均ショップで見かけたりしたもの だけど、一番のお気に入りのクランチだけは最早どこにも見当たらない。先日まで 確かハイクラウン発売50周年ということで、東京駅に特設売場が できたそうだが、 そこではもちろん全種類扱っていたのだろう・・・期間限定にせず、いまだ人気は 高いはずだから、今でも常に売ってくれればいいのに、森永さん?

どうしてあんな美味しい お菓子たちが 今はもう無くなってしまっているのかな。 思い出すと今すぐ食べたい。幼少期の味覚の記憶は、いつまでも鮮明に刻まれている。


 



2014/11月/2日

銭湯で懐メロを

毎晩 ごく近所の銭湯に通っているが、いつ行っても脱衣所で昭和のヒットソングが流れている。 オフコース「さよなら」だの、五木ひろし「夜空」だの。それぞれざっと35年前、40年前と いったところ。概ねそのころの曲が多い。今やレトロなイメージを纏う「銭湯」であるが、それを 自覚してのことだろうか。

昨夜は さらに時代を溯り、ザ・タイガースの「君だけに愛を」。そして今夜はベッツィ&クリスの 「白い色は恋人の色」が流れていた。これも45〜6年ほど昔の曲である(こう書いたところで、 これを読まれている方々のうちどれだけのひとがピンとくるかなぁ)。

幸いにして今夜は、女湯は わたしの独占。脱衣所でたったひとり、無意識のうちに「は〜なびら〜の 白い色は〜〜」などと口ずさんでいた。これほど年月が経っているのに、歌詞とメロディがすらすら 出て来て歌えてしまうのには驚愕。普段すっかり忘れてはいても、じつは古い記憶のなかに しっかり 染みついているものなのね。われながらびっくりしてしまう。



 



2014/9月/19日

蕗谷虹児のアラビアンナイト

いわゆる大正ロマンの叙情画家を代表する 竹久夢二は、その方面に興味のない人々でも きっと その名前くらい聞いたことがあるだろう。 しかし それ以上に心魅かれる挿絵画家がいる・・・蕗谷虹児。竹久氏ほどメジャーではないので どれほどの人がご存知か、どうか。

さて、今 手許にある蕗谷虹児の図録の中に不思議な挿絵が載っている。20年以上前に入手した当初から奇妙でしかたがなかった。 それは「アラビアンナイト」と題されていて、その物語の一場面を描いた作品であるのだが、いわゆる「魔法のランプの巨人」が、 どう見ても昔の中国人としか見えない装束の若い男女を背負って宙を翔ている情景なのである(七夕の牽牛、織女といった感じ)。 かなりシュールなイラストに見える。これはいったいどういうことか、と長年悩んでいた。 20余年前というと、ちょうど折しもディズニー映画の「アラジン」がヒットした頃であったし、そもそも幼少期から このお話は「アラビアンナイト」の 中のひとつで、「アラビア」が舞台なのが当たり前、と完全に思い込んで育った(わたしだけでなく、普通の人は殆どがそうなんじゃない?)。

ところが、である。このたび、あるきっかけで このお話を詳しくチェックし直すこととなった。そしたら あ〜らふしぎ、何と このお話の 舞台は実は 中国であった! ということが判明したのである。まさに目からウロコ。 だから当然アラジンは中国人であり、登場するお姫さまもチャイニーズ・ビューティということになる・・・巨人の背に乗ったカップルが その2人。虹児の描いた挿絵は、物語を忠実に写し取ったものであったのだ。最初にこの絵を目にして以来、ようやく長年の謎が解けた。 因みに、中国人アラジン としての姿を描いた作品が存在していて、 これ。→ http://arabic.kharuuf.net/archives/195

そして もうひとつ、オドロキの事実。このお話は、本来アラビア語の原典が見つからない、つまり「アラビアンナイト」とは関係がない、 ということだそうな。あの「アリババと40人の盗賊」も同様のようで、それらは「orphan tales」とか呼ばれているらしい。孤児の物語群 ・・・といったところでしょうか、初めて聞きました知りませんでした。人生、いくつになっても新たに悟ることがあるもんだ、と感心しきり。 それにしても、「アラジン」なんて名の中国人は まず居ないと思う・・・(だいたい、それからして無理がある・・・気がする)。


 



2014/8月/23日

正太郎少年

先日、鉄人28号のフィギュア盗難騒ぎが ひとしきり話題となった。 28号の初出から かれこれ半世紀、そのあいだにリメイクが重ねられたりしているためか、いまだ人気は褪せないようである。 若い人たちにとってもレトロ感を醸し出す こうした昭和のヒーローは、却って新鮮なのかもしれない。

ところで この作品の主人公、金田正太郎少年に関しては実に謎だらけである。昔から かねがね解せないことがたくさんある。 この子は拳銃を所持し、上手に使用する。車を普通に運転する。確かヘリコプターなんかも操縦してたんじゃないか、と記憶している。

せいぜい小学校高学年程度と思しき少年が、である。何故にこんなことが可能であるのか奇妙でしかたない。 そもそも、どう見ても学校に通っている様子がうかがえない。日本国憲法には、子供に「教育を受けさせる義務」が明記されている。 したがって彼の周辺の大人たちは、明らかに憲法違反をしている。

この時代に流行った作品で、他にも同様のキャラクターって居ますけどね。少年ジェットとか、まぼろし探偵とか。 そんな疑問を抱いた人、わたし以外にも きっといることだろうが・・・当時こういう設定、疑問も抱かれずに通ったのか? 不思議でならないが、 ここはスパッと割り切って この作品で描かれているのは違う次元に存在する日本でのできごとである、と認識したほうがいいのかもしれない。


 



2014/8月/6日

真夏の儚さ

とうに一年の上半期が終わり、梅雨が明け、猛暑の夏本番が到来。 でも8月に入って一週間が過ぎ、あっという間に明日はもう立秋である。 このころになると、本当に暦通り 早朝など、初秋の涼風を微かに感じる。

そう考えてみると「真夏」の時季というのは 本当は思いのほか短い。 せいぜい半月ほどの期間しか無いような気がする。 夏至のころは、あきらかに日没の時刻が遅く、夜7時半あたりでも明るかった。 しかし今では同じその時間、薄明は徐々に弱く、確実に暗くなるのが早くなってきている。

毎年 この時分になると それを実感しつつ、いつしか夏は逝く。


 



2014/8月/5日

アメショーが・・・

ご近所の家で2匹のネコが飼われている。1匹は雑種のキジネコ、もう1匹はアメリカン・ショートヘア。 前者は家の中のほうが好きなようで あまり表には出て来ないが、後者はほぼ毎日道端で出会う。 最近は暑いので、涼しい所を上手に選んで昼寝をしていることが多い。

さて、そのお宅のはす向かいの家では小型犬を飼っている。近頃、そのコのキャリーケースが虫干しのためか、 よく玄関扉の外に出されているのだが・・・しばしば その中に、ちゃっかり前述のアメショーが入り込み、すやすやと寝ているのである。 丁度その中で休んでいる時に 本来の持ち主である小型犬が「使いたい」という場合が生じたら、どうするのか。 しかし「そのキャリーケースは、ひとのもの」という認識など、そのアメショーにあるわけもない。

ネコという生き物の普遍的な不文律。 「じぶんの物は、じぶんのもの。ひとの物も、じぶんのもの」